与えることで愛される男になる講座

与えることで愛される男になる講座は、男性が女性の心を掴み、愛されるようになるために必要な事をシェアしていきます。

自己紹介

どうも、このブログを書いている八木研吾と申します。

こちらでは、詳しい自己紹介を載せておきます。

 

高校卒業後、予備校に通っていましたが鬱病を発症して、受験を断念しました。

半年ほど療養し、良くなってきたのでアルバイト等をしていたのですが、その頃から女

の子に興味を持ち始めます。

 

とはいえ、ドロップアウトした身なので当然出会いはない。

そこでどうするか考えていた時ネットでナンパ仲間を募集している人がいました。

その人に会ってナンパサークルに入り、女の子をナンパするようになっていきました。

 

その頃の主な成果はこんな感じです。

 

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一般的な同年代の男と比べると女性関係は豊かになっていました。

ナンパ仲間の中では普通のポジションでしたが。

しかしここで疑問が湧いてきました。

 

その頃は客観的に見ればそこそこモテると言われる状態だったかもしれないのです

が、必ずしも幸福感があったわけではなかったです。

長続きしないし、お金もかかることは想像できると思います。

そして何より自分にとって問題だったのが、心が休まらないということです。

 

自分の欲していたものはモテたり自慢できるような女の子を彼女にしたりする事ではなく、心の安らぎを得たかったということに気づい たのです。

そこで私は、新しい女の子を追いかけるのやめ、いかにして一人の女性の心を掴み、信頼関係を築いていくかを模索するようになりました。

 

まず気づいたことは、

体を許したり、彼女になる程度では、まだまだ相手の心を掴んだことにはならない

ということです。

(女性の目から見れば当たり前のことだと思いますが)

じゃあどうすればいいのか……

 

私は答えを見つけようと様々な本を読みました。

その中で、一冊の本との出会いがありました。

こちらです。

 

女喰い〈新装版〉 (祥伝社文庫)

女喰い〈新装版〉 (祥伝社文庫)

 

 

最近、新装版が出ましたが、初版は昭和63年です。

この男、最強のエリートにして、最悪のスケコマシ
これが金と快楽を生む技だ!
痛快&昂奮アクション!

いい女とは、お前に惚(ほ)れてお前に貢(みつ)いでくれる女だ――

一流商社に勤める菅原志津馬(すがわらしずま)の裏の顔、

それは女の金で生きるスーパースケコマシ。

モデルに銀行員、ソープ嬢などの美女を強靭(きょうじん)な肉体と超絶愛技(テクニック)で性の虜(とりこ)にする。

だがある日、愛人の一人が殺され、殺人容疑をかけられてしまう。

志津馬を恨(うら)む者の犯行か?

 手掛かりを求め訪ねた昔の女にも魔手が! 

不気味な敵の正体とは。

出版社の作品紹介より

 

あとがきを読むとわかりますが、実在の人物に著者が取材をして書き上げた小説です。

この小説を読んで本当にこんなことがあるのかと思い、関連本を探して研究してみました。

 

ものは試しと思い、当時付き合っていた子に色々試してみました。

すると、明らかに態度が変わったのです。

自分に対して優しくなったり、あれこれ世話を焼いてくれるようになり、

「一緒にいたいから私の部屋に住めばいいよ」と言ってくれるようになりました。

それから10年近く、自分で部屋を借りたことはなく、女の子の部屋で暮らすようになったというわけです。

 

最初の反応でこれは面白いと思い、さらに研究を続けました。

多方面にわたる試行錯誤の結果、自分の人生にこんな変化がありました。

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しかし、私が得たものでなにより大きなものが二つあります。

一つは、前にも行った心の安らぎでした。

もう一つは男としての自信です。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

このブログで書くことを読み、実行していけば、あなたも女性に愛される男になれると保証します。

伝える内容にこだわりたいので、

更新頻度はゆっくりになってしまうかもしれませんが、

長い目で見ていただけると幸いです。

 

 

 

P.S.

このブログの内容は、上記小説の主人公のようなスケコマシになることを推奨するものではありません!!

あくまで小説はフィクションですのでヒントになった程度で考えて頂けると幸いです。

愛されるとはどういうことか?

1人の男の人生についての話をしよう。

その男は武士で、名前を仮に松輔といった。

現在の中国地方の出身で少年時代は病弱だが、利発で頭の良い子供だった。


成長するにつれて体も大きくなり、剣術道場に行き始めると、その長身を生かして塾に

なるまで上達した。

体の弱さを克服し、文武両道の松輔は面倒見もよく、若い侍たちのリーダーになった。


都会に出て勉強し、同世代の若者と交流し、多くのことを吸収した。

そんな中、日本を揺るがす大事件が起きる。

その事件の対処をめぐって国中の意見が真っ二つに割れてしまった。


政治家のやり方に不満を持つ者が声を上げてもの、弾圧された。

反対意見を言った者の多くは捕えられ、処刑されてしまった。

松輔の親友もそのうちの1人だった。


仲間たちは日本の行く末を案じ、行動を起こそうとした。

その活動の折、松輔は1人の芸妓と出会う。

彼女の名前は仮にかず子としよう。

彼女は美しく、芸事にも秀でていた。何より聡明で大変な人気者だった。

随分ライバルも多かったのだが、2人は恋人同士になった。

 

松輔達は行き詰まっていた。

焦った仲間が無茶な行動を起こして市街地で大規模な武力衝突を起こしてしまった。

彼らの言い分としては正しいことをしていると思っていても、多くの人にとってはテロ

リストも当然とみなされてしまっていた。

 

松輔は彼らを止めようとしてもかなわず、役人に追われる身となってしまった。

そこで役人達の目をかいくぐるため、乞食の格好をして、橋の下に隠れていた。

味方に連絡を取ることができず、常に神経をとがらせていなければならない。

孤独と空腹が松輔を苦しめた。

 

そこに若い女性が近づいてきた。恋人だった芸妓のかず子だった。

その手には握り飯の弁当があり、彼にそれを差し出した。

追手の目をかいくぐり、彼女は男の命を助けようとしたのだった。

 

それから数週間、時には芝居をうったり、彼女の母に頼むなどして食べ物を届け、彼を

励まし続けた。

その芝居というのは、早朝、橋の上から日の出に向かって手を合わせて拝む振りをし

て、礼のために体を倒した時に橋の下にいる松輔に弁当を渡していたのだという。

 

そうこうしているうちに松輔は、潜伏先を変えて山合いの田舎町へ移った。

行先は、限られたものしか知らないようにしていた。

松輔が姿を消した以上、和子にとって都は、危険なだけの場所となったので、彼の仲間

たちとともに松輔の故郷へと落ち延びていった。

 

しばらくして風向きが変わった。

故郷では松輔に戻ってきて欲しいと願うものが多くなっていた。

冷静で知恵もありバランスの取れた彼に、これからの方向性を決めてもらおうとして、

潜伏先から呼び戻そうという話になった。

 

誰が行くのか。

あの人は俺たちにも愛想尽かしてるかもしれない。

さんざん無茶なことして困らせた挙句、武士としての体面を保てないような生活をして

いるかもしれない。

 

「私が行ってまいります。」と、和子は言った。しかし女の足で行けるような道ではな

い。

山をいくつも越えないといけないと逃走を助けた弟分が説明した。

それでも彼女の決意は変わらなかった。

 

船で近くの港町まで行き、そこからは歩いて山道を超えるはずだった。

途中その弟分がが街で博打を打ち、旅の資金をなくすというトラブルに遭う。

弟分は、合わす顔がないという手紙だけ残して姿をくらましてしまった。

 

仕方なくかず子は髪飾りやお金に変えられるものを売って健気に旅を続けた。

屈強な武士が呆れるほどの難路だったが、10日あまりをかけてついに男のもとにたどり

着いた。

 

松輔は戻ってきた。今まで敵同士だった勢力と手を結び、政府の軍を追い払い、日本史

上における大きな仕事をやり遂げるのだった。

 

出典:朝日新聞DIGITAL

出典:朝日新聞デジタル:写真・図版 - 文化

 

この男の本名は木戸孝允

若い時の名前は桂小五郎で知られる。明治維新の立て役者の一人であり、日本の近代化に

貢献した人物である。

 

彼自身、同時代の英雄たちと同じように努力をして多くのことを学び、優秀な人物であ

った。

しかし、特筆すべきことは女性によって命を救われ、歴史の表舞台に戻るきっかけを与えてもらったということである。

 

女性に愛されるということがどういうことか一言では言い表せないが、

男性にとっての人生の理想である。

ときに心の疲れを癒やし、自分が一生をささげる使命の手助けしてくれる。

 

そうなるためにはどうすればいいのか?

これから解説していきたいと思う。

 

 

P.S.

 

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出典:幾松の写真、名言、年表、子孫を徹底紹介 | 幕末ガイド

芸妓のかず子というのは、幾松と呼ばれていた人である。

明治維新の後、木戸と正式に結婚し、名を木戸松子と改めた。

そして、明治政府の仕事に忙殺される夫を支えた。

岩倉使節団として欧米を視察する彼の体を心配する手紙を送っている。

その手紙は現在、宮内庁書陵部に残されている。

 

〈参考文献〉

村松剛『醒めた炎 木戸孝允 上巻』中央公論社 1987年

 

〈参考URL〉

木戸孝允館